___それじゃあ、11時にあのカフェテラスでね。
ちらりと腕時計を覗く。高価そうに見えるデザイン(もちろん、それなりの値段はする)。シルバーにひかる文字盤は10時30分ちょっと過ぎを差していた。ジェームズと待ち合わせした時間まで、あと30分近くある。早く着きすぎてしまったと、シリウスは時間を潰そうと適当に散歩することにした。
ダイアゴン横町をぶらぶらと歩く。行き先は決めていない(というか、決めてもしょうがないのだ)。
それから、なんとなく立ち止まる。小汚い書店のようだ、黒い木造作りのその建物は。シリウスは__ちょっとためらってから__中へと足を踏み入れた。周りは本ばかりで、それらを収納する棚さえも見つけるのが難しい。
「いらっしゃいませ、ごゆーっくりどうぞ」
姿の見えない(おそらく女性のものだと思われる)声がカウンターから聞こえた。どこかゆるい感じのするそれは少し北の方の訛りを感じる。
本の保存状態や少しかび臭いところから、これらは古本なのだと判断した。ホグワーツの図書館にある、閲覧禁止の棚での見覚えのある題名に興味をそそられて、好奇心から手を伸ばす。この世の者とは思えない程の、悲鳴___「あ、それ、だめです、開かないで」。振り向くと先ほどの声と共に、ベリーショートボブの店員が本の山の間から身を乗り出していた。
「ああ、よかった、まだ開き掛けでしたか」
心からホッとした様子で、彼女が胸をなで下ろす。なんともみすぼらしいエプロンからは、ちらりと・という名札が鈍く光っていた。きっとこれが彼女の名前なのだろうな、とシリウスは頭の片隅で思いつつ、本を完全に閉じた。
「…すみません、それ、お借りしても?」。彼女がちょっと困ったように手を出してくるので、シリウスはイエスという意味を込めて数回頷いた。どうも、とがふにゃふにゃと笑い、受け取る。
「この本、ほんとは地下室に置いとけって言われてたのに迷子になっちゃってて。いやあ、助かりました、感謝です。…あ、これ、買い取ろうとしてました?」
「それは__ちょっと見覚えが__いや、なんとなく目に止まっただけだから、気にしないでくれ」
「そうですか。なら、ラッキーです」
満足げにが本の表紙を撫でて、埃を払い落とした。湿っぽい部屋をバックにそれが煌めく。
「ここは…古本屋か…?」
「ええ。年代物の歴史書、参考書などから、ちょーっとマニアックな代物まで揃ってます。まあ、フローリシュ・アンド・ブロッツ書店に比べちゃあ無名もいいとこですけどね。滅多にお客も来ませんし。…お兄さんは今日が初でしょう?」
「まあ、そんなとこだ。ちょっくら時間つぶしに丁度いいかと思ってね」
「ふふっ、それはいい目をお持ちです。ここほど暇を持て余してる店はそうそうありませんから」
そう彼女は言い残すと、先ほどの本をまた端の方に追いやって(だからまた本を無くしてしまうというのに)、隣の山から本を数冊両手いっぱいに抱えて棚に戻し始めた。届かないところはもちろん梯子を使って。
話し相手がいなくなるとシリウスは再び店内を歩き回り、探索し始めた。これだけおかしな本があれば、多少は何かレアな掘り出し物があるかもしれない、そう践んだのだろう。
「…あ、お兄さん、あっちの山から向こうの4列目まではちょっぴり癖のある本ばかりなんで、気を付けてくださーい!」
「…んー」
「あれ、聞こえなかったかな…お兄さーん!」
こんな狭い店内なのだから、そこまで叫ぶ必要などないというのに。そう思い、流す程度に返事をしたのが裏目に出たようだった。シリウスの声は彼女の耳に届く前に分厚い紙の束の壁に当たり、聞こえなかったらしい。再び呼ばれるので、今度こそ伝わるように声のボリュームをあげる。
「ちゃんと聞こえているったら!…だいたい、おれはお前の兄でもなんでもないんだから、お兄さんはよしてくれないか」
「ごもっともですね、すいません。ついつい、そう呼んでしまうんです」
「まあ、いいさ。おれはシリウス、あのおおいぬ座のシリウスと同じ名前だ」
はぐらかすようにそう付け加える。あえて姓は名乗らなかった。ブラック家、というほど有名で面倒くさい家はそうそうないだろうから。もし、それがバレたとして「お兄さん」から「若」や「坊ちゃん」なんて呼ばれたら、それこそ元も子もなくなってしまう。
それでも彼女は不思議がって首を傾げるものだから、シリウスはあわてて「おまえは、っていうんだろう?」と先に口を開いて先手を打つ。
「どうして、わたしの名前…?」
「これだ、これ。さっき見えたんだ」
そう言って自分の左胸を示すと、も自分のそれに視線を移して__ちょっと考えてから納得したようだった。
「なるほど、なかなかやるもんですね。探偵も目じゃないです、きっと」
「褒めてくれてどーも。…と言っても、ちょっと考えればこれぐらい誰だって分かるだろうよ」
「せっかくおだててるんですから、そういう野暮なこと言わんで下さい」
「おいおい、それを言ってしまったら"おだてる"の意味が無くなってしまうんじゃないか」
「これも商売ですから」
人が調子よくまわってくれなきゃ儲かるものも儲かりませんよ、と。梯子の上からでは足下の本間で手が届かないので、シリウスがそれを取ってやると「気が利きますね、ありがとうございます」と彼女が宙からにへらっとしてみせた。なんて素直な女なのだと思った。
「は一人でここで働いているの?」
なんとなく、間の空いた会話が気まずくて(同時にもどかしくて)、聞いて見る。シリウスの視線は普段と打って変わらず落ち着いたものだ。口調とのギャップを少しおかしいく感じてしまう。
「いいえ、お爺と二人っきりです。足が悪い方なんですけどね、同じくらい口も悪くって__正直、若い人と話すのは久々なんです」
「じゃあ、敬語なのも?」
「お察しの通り。まわりが年上ばーっかりなんで、そういう癖が、ほら」
苦笑いして頭を掻くは、普通の女の子に比べてくたびれて見えた。声の感じからすればシリウスとそうそう変わらない年齢のはずだ。それなのに、自分よりもずっとずっと年をとっているような話方をする__今まで出会ったことのない、珍しいタイプだ。新しいおもちゃを見つけたような気分。
もうちょっと彼女と話していたいと思ったけれど、ちらりと確認した時計の針が11時の5分前を指していた。(そろそろ店を出なければ)。
「それじゃあ、。おれは…もう行くから」
「ここに来たのは時間つぶし、でしたもんね」
「ああ。でもお前と話すのは楽しかった、また来るよ__今度は本を買いに」
それとも、話し相手になりに来る方がいいか?とシリウスが茶化すと、はちょっと驚いたような顔をして、またいつものゆるーい笑みを浮かべた。
「どちらでも大歓迎、シリウスくんならね」