12時の鐘が鳴る。そんな音さえも今ではしんしんと雪のつもる音にかき消されて、夜中の談話室はひどく寂しい感じがした。そんな中にはぽつんといた。手に持ったココアはもう冷たくなっていて飲む気はしない。ソファの隅に埋もれているだけ。

「…ないてるのか?」

不意に後ろの方から声をかけられて、ぴくりと身体が動く。、と甘ったるい含みを持った彼のそれ。シリウスがこちらに近づいてくる足音から遠ざかるようには膝に顔をうずめた。「おいこら、隠すなよ」。ひらひらと手を彼女の顔の前で上下に振り、注意をむかせようとする。

「ないてなんかないよ、君の知ってるあたしはそんなに泣き虫?」
「いーや全然。むしろ涙なんか流したことなさそうだ」
「そりゃひどい言いようだね」

ぼすん。シリウスがの隣に腰掛ける。もうだいぶ年期の入ったと思われるソファのスプリングが鳴いた。冷たくなった指先で自分の座っていたぬくもりの残る部分をなぞる。の毛糸のソックスは右だけがずれ落ちていた。きっと長い間ここでごろごろとしていたのだろうな、と思う。

「こんな時間にどうしたの、眠れないの?」
「そりゃあこっちの台詞だ。…俺は書きかけのレポート終わらせなきゃならなくて」
「へえ、シリウスでもレポートに手こずるんだね。ちょっと意外」
「うるせ。手こずってたんじゃなくて今さっき思い出したんだよ」

どうだかね。がそう言ってちょっと笑う。不意に天上を見ようと顔を上げたらたまたまシリウスと目が合ってしまって、なんだかもどかしい気持ちになった。友情でも愛情でもないあいまいな関係。それだからこそ、思わず目をそらしてしまう。

(きっとシリウスも同じことをおもっているんだろうなあ。)

くすり。口元をほころばせる。「なんで目をそらすんだよ」とシリウスがの鼻をつまんで引っ張った。もちろん彼自身もなんとなく分かってるのだろう、楽しそうな声だ。

「知ってるくせに。」
「なにが?」
「またそうやってしらばっくれる気?まあ教えてあげないけど」
「なんだよ、気になるだろう」
「そういういじわるな人は放っておきますからね。さあもう行った、行った、レポート終わらせておいで」

冷たいココアはもういらないとカーペットの上に置いたがしっしと手を振る。本当に追い払う気など、これっぽちもないことくらいシリウスも分かっていた。そして、目を逸らされた理由も。お互い知ってて何もしないし、伝えたりもしないのだ。

「そんなの、さっさと終わらせてきたに決まってるさ」

少し前にがカーペットの上に置いたマグカップを手にとって、中にあるココアを飲み込む。甘い。そして冷たい。一体どれだけの間だここに居たのだろうかと思うほどだ。けれどもココアの糖分が脳へとまわったのを感じて、心地よい疲労感からシリウスはソファに身を沈めた。

「めずらしいね、シリウスが甘いものを欲しがるだなんて」
「俺だってたまにはそういう時くらいあるだろうよ」
「それってリーマスがコーヒーをブラックで飲みたがる確率と同じくらい?」
「いいや。あいつはゼロパーセント、俺は0.2パーセント。残念ながら少し違うな」
「じゃあ今はその0.2パーセントの時なんだね」

返事をする変わりにシリウスがまた一口ココアを飲んで元の位置あたりに戻した。まだ中身は残っている。が「いらないの?」と聞くと「こんな甘ったるいのもう飲めねえよ」とうんざりした顔をした。唇を舐める時に見えた下は赤くて、けれど暗い部屋の中ではちょっと黒くて。まるで生きているべつの生き物のようでおかしかった。

少しの沈黙。気まずい、なんていうことはない。2人してただぼーっとして空を眺めているだけ。そして風がザーッと鳴いたあと、思い出したようにシリウスが口を開いた。「そういえば、なんでお前は起きてたわけ?」と。

「お前じゃなくてあたしはです」
「このさい面倒なこと気にするなよな、…
「上出来です、シリウスくん」
「なんで上から目線なんだよ」

こずっと小突かれたがソファに頭をぶつける。もちろんソファはそれほどまで堅くないので痛くはないのだが、背もたれに身体を預けたまま起き上がってくる様子はない。むしろ、まったく、シリウスは冗談も通じないんだからとが文句を言い始めたくらいだ。彼女が抑揚もない調子で話すので、まるで呪文を唱えているようだとシリウスは思った。

「で、結局のところどうだったんだ。宿題を忘れてたわけじゃないだろう」
「うん。シリウスじゃあるまいし」

「分かってるってば、まあ起きてたのに理由はあんまりないの。星が見たいなあと思って談話室にいただけなんだ」
「星ねえ…外は大雪だっていうのに?」
「そうそう。そのうち止んでくれるかと期待してるけどだめそうだね、あーあ、待ちぼうけくらっちゃた」
「なんか使い方間違ってないか、それ」

いいの、と言い切るは知らぬうちに暖炉の火が消えたのを理解した。どうりで寒い。ぶるる、と身震いする彼女をみて、シリウスが「寒い?」と聞いた来た。相変わらず機転は利くやつらしい。

「ちょっと。でも平気だよ、あたし今たくさん着込んでるから」
「そう言うわりにはソックスを上に上げてるけどな。…ベッドに戻った方がいい」
「へーきだって言ったでしょ。ご心配はありがたいけどさ、今部屋にもどるとみんなを起こしちゃうから」

「それにもうちょっとここにいたいの」。ニットカーディガンのボタンを一番上までしめた彼女が言う。あまり説得力はないけれど、が頑固なのは学校中の人が知っていることだったから決して止めることはしなかった。それに理由が理由だということもある。くちごもるシリウスに、別に変な意味はないよと笑いかけた。

「やっぱり天気を読み取れるように勉強しとけばよかったかな」
「そうすればこういう事もないのに?」
「分かってるじゃないの、シリウス」
「伊達にお前と友達してないからな、俺は」
「なにせ1年生の時からの仲だもんね」
「そういうことだ」